1.私の人生を変えたゲームとの出会い
ゲーム専門学校の講師になってから、生徒によく聞かれることがある。
「先生は、どうしてゲームシナリオライターになったんですか」という質問だ。
当然、私もゲームが好きだからこの業界に入りたいと思ったわけだが。
最初から、ゲームシナリオライターを目指していたわけではない。
私が目指していたのは。
ゼロから作品を生み出す、創造主たる存在― ―ゲームプランナー。
自分の手で、「最高の乙女ゲーム」を世の中に生み出したい。
世界中の女性をときめかせる、乙女ゲームのプランナーになりたかったのだ。
そんな強い意志と乙女ゲーム愛を持って、専門学校に入学したのだが……
思いもよらないライバルの登場により、私の心は砕けに砕け散り、新たにゲームシナリオライターとしての道を選ぶことになるのだが、それはまた別の機会があれば話したい。
そもそも。なぜ、乙女ゲームのプランナーになりたいと思ったのか。
それはやはり、「私の人生を変える出会い」があったからだ
機械製品が大好きな父(ガンダムも大好き)と、少女漫画が大好きな母(心のバイブルは『ガラスの仮面』)、そしてお絵描き大好きな姉(悔しいぐらいうまい)に囲まれて育った私は、まさにオタクのサラブレット。
いっさい道をそれることなく、ゲームと漫画とお絵描きが大好きな女の子になった。
時をさかのぼること、1990年代。機械好きの父は、ファミリーコンピュータ(ファミコン)、スーパーファミコン、PlayStationと最新ゲーム機器が出るたびに嬉しそうな顔で買ってきてくれた。
それに合わせて買ってくるゲームソフトは、アクションやRPGが多く、私もまだ幼かったため自分で欲しいゲームを選ぶことはできなかったし、世の中にどんなゲームが出ているのかも知らなかった。
小学生には難しいゲームばかりで、ステージ3ぐらいまでしか進めなかったが、それでもテレビ画面の中で自分が操作するキャラクターが動いたり、自分の意志で物語を進めていくワクワク感がたまらなかった。
しかし、ゲームとはあくまでも「おもちゃ」であり「遊び」のひとつ。
そこに特別な感情を抱いてはいなかった。……そう、あの時までは。
あれは1994年の冬。
友達から借りて来たスーパーファミコンのゲームをプレイするという姉と一緒に、コタツに潜り込んだ。
もしゃもしゃとミカンを食べながら、「なんのゲームなんだろう?」とゲームの箱を手に取る。パッケージに描かれていたのは、可愛い女の子が2人と、9人のイケメン。
そのゲームのタイトルは……
『アンジェリーク』
光栄(現・コーエーテクモゲームス)から発売された、女性向け恋愛シミュレーションゲームだった。