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しおにくが綴る「推さ日記」第4回:『推しキャラはコンテンツかアイドルか?』(AGFの変化から想うキャラ推しの今後)

キャラ推しとアイドル推しの複合体!

 さて、アニメ作品やゲーム作品といったコンテンツから生み出されてきたキャラクターとVTuberの似て非なる点について書きたいと思います。

 アニメやゲームのキャラクターは、CG・アニメーションにCVが当てられているものです。あるいは舞台化によって俳優が割り当てられています。

 このため、作品の制作開発時はもとより、発売・リリース後もそのキャラクターに活動を続けてもらうには声優・俳優を都度ブッキングしなければなりません。なぜなら、専属でもない限り、声優や俳優はそのキャラクターを演じるだけでメシを食っているわけではないからです。

 乙女ゲームのリアルイベントで「声優・俳優のスケジュールが合わずに推しキャラが出ない・活躍しない」なんて不幸しょっちゅうありますよね、それです。

 そのほか諸々の事情が積み重なって相対的に「供給量」が少なくなります。キャラ推し≠声優・俳優推しですが、かといって代役をテキトーに割り当てられても困りますしね……。

 スケジュールを調整し、長い期間をかけて非同期で収録を行い、アニメやゲームといった作品へとパッケージされるのが一般的なコンテンツです。

 制作開発側からしたら「作り終わったもの」「上演し終わったもの」を、私たちファンは手を変え品を変えて様々なメディアで何度も鑑賞し、長きにわたって感想戦を繰り広げることになります。

 ところがVTuberの場合は、見た目はアニメキャラやゲームキャラに近いですが、本人そのものをキャラクターとして推すことになるのでキャラ推しの性質を持ちつつ、推し活はアイドル推しに近くなります。どちらかというと、ファンの体験はライブすなわちリアルタイムに寄っています。

 軽妙な掛け合いを楽しんだり、ゲーム実況であれば一緒に参加したり、配信チャット内やファンクラブ的に用いられるディスコ(discord)でファン同士が語るのも盛況です。
 コンテンツ(アーカイブと言い換えてもよいです)を愛でるタイプと、芸能人のライブ感を大切にするタイプ。これは大きな違いを生んでいます。

コンテンツ?それともライブ?

 もう一点、この「似て非なるもの」を決定的に分けているのは、「世界設定」と「物語」だと思います。よく設定のことを指して「世界観」という言葉が使われますが、今回は明確にコンテンツやキャラクターの情報量を指したいので「世界設定」と呼びたいと思います。

 VTuberにもそれぞれの設定やVTuber同士の人間関係があり、アイドルという職業がアイドルを演じる職業であるのと同様に、VTuberという存在を演じています。

 もちろん、ハマり込んだ人たちは、VTuberいう存在が確かにいるものとして認識をしますし、いわゆる「中の人」のことは「魂」であるという世界観になります(ここでの世界観という言葉の使い方が、さっきの世界設定と分けたかったポイントです)。

 半面、VTuberたちが画面上でアニメーションを伴ったキャラクターの姿で現れたところで、現実世界のロジックや法・規範を超えた活動はできません(VTuberが演劇をするという企画のことは今回は考えません)。

 もう一方のアニメやゲームですが、推されるにあたっては、魅力的な世界設定とキャラクターで視聴読者のハートをガッチリ掴みます。夢を見せるお膳立てが綿密にできている、そこへもしっかりとコストをかけているということになります。

 そのうえで「物語」を用います。フレーバーテキストやドラマシナリオで関係性を描き、現実世界ではなく「その世界での真実」を映像や音声で描き出しているわけです。

 現実のアイドルが「〇〇星出身で~す!」と言ったところで「そういう設定にファンが合わせることで愛でていくスタイルなのだな」という、自己暗示とそこへ飛び込む覚悟が必要なのですが、これはVTuberも同じです。
 CGのキャラクターを挟んでなお「素である」と解釈するのは積極的にハマッていった後でなければ難しいことでしょう。
 けれど、アニメやゲームはファンが合わせるのではなく、作り込まれた世界の上での生き様を目の当たりにするスタイルです。「そうはならんやろ」→「なっとるやろがい!」というミームが適しているのはそのためで、時間や空間が現実からかけ離れていようがその世界で起こっている以上それは真実であり、そこに視聴読者は心を惹かれます。

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