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「推さ日記」第7回『関係性へのシフト』(AGF 2023感想戦)

若者は恋愛を押し付けられるのを気持ち悪く思っている?

 そんなAGFを巡っていて考えていたことがあるんです。従来、女性向けと呼ばれてきたコンテンツは、少女漫画の昔から「恋愛」が不変の王道テーマだったのですが、スマホが登場してコンテンツが身近になり楽しみ方も多様になってここ十年で相当変化しているぞ、と。

 男女の恋愛はコンテンツのメインストリームではなく、あくまで関係性のいち側面として一歩引いて鑑賞するものであって、味付けでしかなくなってしまい、テーマを張るキーワードとしては縮退してしまったのだ、という確信です。

 キャラクターが様々な関係性を得ている中で、恋愛という形態の結びつきも一部あるに過ぎない。同性どうしでも「巨大感情」と照れ隠しに呼んだ方がエモくてスマートな、そんな意識が見えかくれしています。

 もしかしたら10代なんかの若い人は、現実の自身はさておき、創作物において恋愛や恋愛感情の持ち方をコンテンツから押し付けられること、すなわち「恋愛する主人公」に無理やり感情移入させられることが気持ち悪く感じられるようになっているかもしれません。

 恋愛至上主義なんて言葉がバブル期にあったような気がします。彼女が水着に着替えたらどうなるかとか、私をスキーに連れて行ってとせがむとかの古き良き時代は、バブル崩壊とともに弾け飛んでしまったのでしょうか。(←本当に古いよ!)

 もうちょっと思索を深めるべきかなと思うのですが、(感情移入する対象としての)主人公とキャラクター間における男女の恋愛を押し付けられることの気持ち悪さってどこから来るものでしょうか?

 おそらく世情の移り変わりもあって「記号的に消費するには重すぎる」のを回避した結果、「関係性の物語」の一部として組み込まれるようになったんじゃないかと睨んでいます。生々しいというか、自身を投影したり、あるいは比べてしまったり、余計なことを考えながら物語を浴びたくはないです。

 また、ここ数年のコロナ禍においてコミュニティ活動を萎縮せざるを得ない日々を過ごした後となっては、恋愛パワーというか、恋愛が人生においての困難を切り抜けたり、周辺環境を変える原動力となったりといったお膳立てが、一種のファンタジーでしかなくなってしまったとも考えられます。そもそも異性と会う機会も少なかったし、恋い焦がれていたからといって蔓延するウィルスをどうにもできないわけですからね。

 感情移入の仕方が変わっているかどうかについて視点を変えてみても、社会的に「身体の決定権は自己にある」ことが浸透している世の中なのに、視聴読者やプレイヤーの思考感情と一致しないシーンで、主人公が相手に身を委ねたり委ねなかったりすることに、ギャップを感じて没入できなくなっている可能性もあります。

 いやぁ、あるんですよ、恋愛モノなのにここぞというときに肩透かしな展開で「抱けえっ!! 抱けっ!!  抱けーっ!!」って叫びたくなるシーンが。そういうの、フラストレーションでしかないですからね。

 これが関係性の物語だとこういうシーンはフラストレーションじゃなくて視聴読者としての「ごちそうさま、ありがとうございます」の叫びとなります。

 旧来の恋愛モノだったら抱いて済ませるシーンなのだろうけれど、これは関係性の極大化だからそんなことはしない、そんなことしないからこそ、頭がフットーしそうだよぉっっ、って感じですね、本当にネット老害みたいな古い表現ですみません。

 あ、これ女性向けだけじゃなかったですね。流行っている男性向けスマホゲームでも、舞台がアイドルだろうがSF戦争だろうが、プロデューサーや提督やトレーナーや先生と各所で呼ばれようが、メインストーリーはキャラクター同士のエモいやりとりであって、プレイヤーと恋愛してそれを享受したいという話ではないですから。描かれていない性愛についてはファンアートや二次創作でやってくれ、という感じになっています。

 つまり、関係性の物語に、プレイヤーは入る余地がありません。まったくもって傍観者です。

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